2011年03月10日
いつもの道こそ大切な物がある
最近は、天気がいいですね。
最近買ったカメラを片手にぷらっと地元を散歩しました。
とことこ歩いていると・・・

トックリキワタが実をつけていました。
まだ熟していないようですが、熟した頃に収穫して、フェルトでもつくろうかなぁ。
そのまま歩いて、安謝川沿いに来ました。

私が小さいころは、川はまだちゃんと整備されていなくて、
今のように側面をコンクリートで囲まれてはいませんでした。
昔、下に降りて良く釣りしたなぁ(=^・^=)。テラピアしか釣れないけど、それはそれで楽しかったことを思いだします。
川沿いを末吉公園向けに歩いていると、

フクマンギが新芽を出していました。
フクマンギの新芽はお茶の代わりになりますよ。
結構美味しい(●^o^●)味は杜仲茶に似た感じです。一度お試しあれ♪
また歩いていくと・・・

誰の自転車だろうか。何だか寂しそうにポツンと自転車がありました。
捨てちゃったのか、置いてあるだけなのか、しかし、どこか哀愁ただよいます。
私の昔使っていた自転車はどこにいってしまったんだろうか。
何か、もっと大事に使ってやれば良かったと、今更後悔((+_+))ごめん、あの頃の私の自転車。
ふと上を見上げてみると

ホルトノキが空を覆って、木漏れ日が素敵です。
この木は私が小さい時からいた。昔からここでみんなにこんな景色を見せてくれていたんだろうか。
あの頃は気づかなかったけど、すごく綺麗。
末吉公園に到着しました。

さすが春です。オニタビラコたちがここぞと背伸びをして、太陽の光を浴びています。
強い生命力を感じますね。
足元に目をやると、

階段の隙間からリュウキュウコスミレが咲いていました。
健気に咲いている感じが何か良い(●^o^●)。植物たちは少しでも場所があれば、根を生やし、
芽を出し、花を咲かせる。スゴイ。
ミツバチもシロノセンダングサ(タチアワユキセンダングサ)の花の上を忙しいそうに動いています。

花粉団子でもつくっているのかな。
ちなみに、童話に出てくるハチの子ハッチは、子どものハチじゃないですよ。
子どものハチは白い芋虫のような幼虫ですから、ハッチのような形をしているのは全部成虫です。
また、ハチはメスでコロニーを形成します(オスは女王と交尾後死ぬ)。
なので、本当ではハッチは女の子じゃなくちゃいけないんですね。
まぁ、童話なので、こんなことを言ってしまってもしょうがないのですが・・・笑
末吉公園内の安謝川は琉球石灰岩がゴロゴロしています。

そこにはハマイヌビワ、ホソバムクイヌビワなどのイチジク属がたくさんいます。
その他は、ゴウシュウタニワタリやオオイワヒトデといったシダ植物も見られます。
一時期よりはかなり綺麗になったなぁ。
ひどい時は洗剤の泡が舞っていたり、ゴミが散乱していたのに。
小さい頃からなじみのある場所なのに、改めて見つめてみると面白い。
あの頃とは違って見える。いや、正確に言えば、
見えているものは同じだったかもしれないけど、それの受け止め方が変わった感じ。
私は中学校の頃から、教師になろう!と思ってから今まで
どうしたら良い教師になれるのか、楽しい学校を作りたい、面白い授業をしたい、
色んな事を勉強して教育界を良くしていくんだ!なぁんて思いながら、
「教育」とつくような講演会には必ず足を運んだり、
大学の授業をやたら受講したり、
教育施策にできるだけ目をとおして、
「できるだけ、なるべく新しいくてセンセーショナルな教育」
を目指して動いてきました。
去年の私はそういうばかりを見て、とにかく進め進め!という感じでした。
でも、今こうやって地元の自然を研究したり、昔から歩いていた道を改めて見ていると、
意外と教育で大事なことって自分の育ってきた中にあるんじゃないのか
そう思えてきました。
どんなに学校教育に新しくて、センセーショナルなものを導入しようと、
時代が変われば、それは古い教育。場合によっては良くなかったと言われるかもしれない。
ゆとり教育みたいに。
時代が変わると変わってしまう教育は、教育の軸にしてはいけない。
もちろん、社会的・国家的なニーズをもとに作られている政策は軽視していけないけれど、
それをベースにしてしまっては、ニーズが変わるたびに子どもたちは振り回される。
ゆとり教育の問題がニュースでよく取り上げられ、ゆとり教育に対して様々な批判があげられているけど、
一番、被害を受けているのは
「ゆとりだから」なんて嫌味を言われている子ども達だ。
時代によって移ろう教育は本当の意味で教育ではないはず。
じゃあ本当の教育って何なんだと言われると、難しいのですが、
私の中では、「その子の人生を豊かにするもの」という言葉が現時点での答えです。
「3つ子の魂百までも」
ではないですが、小さい頃の私の経験・体験が確実に今の私に生きています。
思い出そうとして思い出せませんが、ふとした時に同じことをしている
あの頃の自分を思い出します。
あの頃の私が今の私をつくって、今の私が今までの自分と社会とのつながりを見出した。
だからこそ、今こうして将来に向けて走り続けていられるような気がします。
自分をつくること
自分と社会とのつながり
この2つができると人生は豊かなものになっていくのではないかなぁ
と思います。
いつも乱文ですいません。
読んでくれてありがとうございます。
最近買ったカメラを片手にぷらっと地元を散歩しました。
とことこ歩いていると・・・

トックリキワタが実をつけていました。
まだ熟していないようですが、熟した頃に収穫して、フェルトでもつくろうかなぁ。
そのまま歩いて、安謝川沿いに来ました。

私が小さいころは、川はまだちゃんと整備されていなくて、
今のように側面をコンクリートで囲まれてはいませんでした。
昔、下に降りて良く釣りしたなぁ(=^・^=)。テラピアしか釣れないけど、それはそれで楽しかったことを思いだします。
川沿いを末吉公園向けに歩いていると、

フクマンギが新芽を出していました。
フクマンギの新芽はお茶の代わりになりますよ。
結構美味しい(●^o^●)味は杜仲茶に似た感じです。一度お試しあれ♪
また歩いていくと・・・

誰の自転車だろうか。何だか寂しそうにポツンと自転車がありました。
捨てちゃったのか、置いてあるだけなのか、しかし、どこか哀愁ただよいます。
私の昔使っていた自転車はどこにいってしまったんだろうか。
何か、もっと大事に使ってやれば良かったと、今更後悔((+_+))ごめん、あの頃の私の自転車。
ふと上を見上げてみると

ホルトノキが空を覆って、木漏れ日が素敵です。
この木は私が小さい時からいた。昔からここでみんなにこんな景色を見せてくれていたんだろうか。
あの頃は気づかなかったけど、すごく綺麗。
末吉公園に到着しました。

さすが春です。オニタビラコたちがここぞと背伸びをして、太陽の光を浴びています。
強い生命力を感じますね。
足元に目をやると、

階段の隙間からリュウキュウコスミレが咲いていました。
健気に咲いている感じが何か良い(●^o^●)。植物たちは少しでも場所があれば、根を生やし、
芽を出し、花を咲かせる。スゴイ。
ミツバチもシロノセンダングサ(タチアワユキセンダングサ)の花の上を忙しいそうに動いています。

花粉団子でもつくっているのかな。
ちなみに、童話に出てくるハチの子ハッチは、子どものハチじゃないですよ。
子どものハチは白い芋虫のような幼虫ですから、ハッチのような形をしているのは全部成虫です。
また、ハチはメスでコロニーを形成します(オスは女王と交尾後死ぬ)。
なので、本当ではハッチは女の子じゃなくちゃいけないんですね。
まぁ、童話なので、こんなことを言ってしまってもしょうがないのですが・・・笑
末吉公園内の安謝川は琉球石灰岩がゴロゴロしています。

そこにはハマイヌビワ、ホソバムクイヌビワなどのイチジク属がたくさんいます。
その他は、ゴウシュウタニワタリやオオイワヒトデといったシダ植物も見られます。
一時期よりはかなり綺麗になったなぁ。
ひどい時は洗剤の泡が舞っていたり、ゴミが散乱していたのに。
小さい頃からなじみのある場所なのに、改めて見つめてみると面白い。
あの頃とは違って見える。いや、正確に言えば、
見えているものは同じだったかもしれないけど、それの受け止め方が変わった感じ。
私は中学校の頃から、教師になろう!と思ってから今まで
どうしたら良い教師になれるのか、楽しい学校を作りたい、面白い授業をしたい、
色んな事を勉強して教育界を良くしていくんだ!なぁんて思いながら、
「教育」とつくような講演会には必ず足を運んだり、
大学の授業をやたら受講したり、
教育施策にできるだけ目をとおして、
「できるだけ、なるべく新しいくてセンセーショナルな教育」
を目指して動いてきました。
去年の私はそういうばかりを見て、とにかく進め進め!という感じでした。
でも、今こうやって地元の自然を研究したり、昔から歩いていた道を改めて見ていると、
意外と教育で大事なことって自分の育ってきた中にあるんじゃないのか
そう思えてきました。
どんなに学校教育に新しくて、センセーショナルなものを導入しようと、
時代が変われば、それは古い教育。場合によっては良くなかったと言われるかもしれない。
ゆとり教育みたいに。
時代が変わると変わってしまう教育は、教育の軸にしてはいけない。
もちろん、社会的・国家的なニーズをもとに作られている政策は軽視していけないけれど、
それをベースにしてしまっては、ニーズが変わるたびに子どもたちは振り回される。
ゆとり教育の問題がニュースでよく取り上げられ、ゆとり教育に対して様々な批判があげられているけど、
一番、被害を受けているのは
「ゆとりだから」なんて嫌味を言われている子ども達だ。
時代によって移ろう教育は本当の意味で教育ではないはず。
じゃあ本当の教育って何なんだと言われると、難しいのですが、
私の中では、「その子の人生を豊かにするもの」という言葉が現時点での答えです。
「3つ子の魂百までも」
ではないですが、小さい頃の私の経験・体験が確実に今の私に生きています。
思い出そうとして思い出せませんが、ふとした時に同じことをしている
あの頃の自分を思い出します。
あの頃の私が今の私をつくって、今の私が今までの自分と社会とのつながりを見出した。
だからこそ、今こうして将来に向けて走り続けていられるような気がします。
自分をつくること
自分と社会とのつながり
この2つができると人生は豊かなものになっていくのではないかなぁ
と思います。
いつも乱文ですいません。
読んでくれてありがとうございます。
Posted by Cinnamomum_mk at 23:08│Comments(0)
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